【日本史】メーデーと関東大震災


 関東大震災による震災下のなか警察や軍隊公認のもとに6千人もの朝鮮人を殺害するという事件が起こった。この事件は総同盟の左翼化や労働運動の高揚さらにメーデーによる革命運動に恐怖した権力が策謀したと考えられている。


【日本史】メーデーと関東大震災


 第一次世界大戦後の日本の経済は苦境に立たされた。貿易は1919年から再び輸入超過となり大戦期に成長した重化学工業は輸入品との競争に苦しんだ。翌20年には生産過剰から企業の倒産があいつぎ戦後恐慌となる。

 日本初のメーデーは戦後恐慌のさなか、1920年東京の上野公園で開かれ12年に結成されていた友愛会は21年会名を日本労働総同盟と改め、本格的労働争議を指導、支援していた。翌22年は各種社会運動の旗揚げの年となり。三月には被差別部落民の自主的開放をめざす全国水平社が京都で結成され。地方水平社はその後増加し差別行動への徹底的糾弾闘争を展開した。

 1923年9月1日、関東地方に大地震が起こった関東大震災である。東京、横浜の大部分が壊滅状態となり死者、行方不明者は10万人以上に達した。

 2日の昼頃、朝鮮人の放火や井戸に毒を入れるなどの流言が起こり、暴動、来襲のうわさが拡大した。水野錬太郎内相は戒厳令を東京、神奈川、埼玉、千葉に施行した。民衆はこれを信じ青年団、町会、在郷軍人会、消防団など自警団を組織し警察や軍隊公認のもとに6千人もの朝鮮人を殺害、ほか中国人なども軍隊や警察によって殺害された。この事件の背景に、総同盟の左翼化や労働運動の高揚さらにメーデーによる「日本と朝鮮の労働者は団結せよ」のスローガンが揚げられるなど革命運動の前進があり、これに恐怖した権力が運動を若葉のうちに摘みとり民衆に敵視させようとする策謀があったと考えられている。


 関東大震災の震災下のなか警察や軍隊公認のもと6千人の朝鮮人と中国人を殺害した。この事件は労働運動メーデーによる革命運動に恐怖した権力が策謀したと考えられている。このような事件が二度と起こらないためにも事件の問い直しと考察が必要である。


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参考文献、 竹内誠(編集)、君島和彦 (編集)、佐藤和彦(編集)、木村重光(編集)『教養の日本史』東京大学出版会、1995年