ナチス統治時代のドイツで、映画がプロパガンダの最高な道具として意識され用いられた。

 20世紀前半頃、各国では様々な娯楽映画がつくられていた、欧州で大戦が始まりアメリカが参戦することが決まると、アメリカは自国の正義と参戦の意義を植え付けるための効果的な手段の一つとして映画が用いられた。その後、第一次世界大戦後の社会主義国家ロシアの成立、それに続く時期のナチス統治時代のドイツで映画がプロパガンダの最高に有用な道具のひとつとして意識され、高度に組織され用いられたのである。

 19世紀は、数々の機械技術が発明された時代である1830年に発明された写真は交通機関が整備されていった19世紀には以前では考えられない速さで国境を超えて各国に広がる、写真はフランスとイギリスでほぼ同時期に相次いで発明、非常に大きな位置を両国で占めるようになる。

 20世紀には映画がその強い存在感を示し写真も社会において確固とした位置をしめようとしていた。交通手段、機械技術、通信技術などの発展が映像技術と結びつき個人による限られた知覚範囲や移動の速度を凌駕し爆発的に広がる、そしてそれと連動して人々の知覚体験もまた、広がりの浸透を受け変容を重ねていくことになるのだ。

 第一次世界大戦が始まる前の1910年前半頃、各国では様々な娯楽的な映画がつくられていた、欧州で大戦が始まり後になりアメリカが参戦することが決まると、敵国になったドイツがいかに残忍な悪者であるかを世論に対して示す必要性から、その効果的な手段のひとつとして映画が用いられた、アメリカの正義と参戦の意義を植え付けるために映画は格好の手段と見做されたのだ。

映画が

 プロパガンダの最高に有用な道具のひとつとして意識され、高度に組織されて用いられたのは、第一次世界大戦後の社会主義国家ロシアの成立、そしてそれに続く時期のナチス統治時代のドイツである。

 1920年代においてロシア指導者となったレーニン(1870~1924)は、広大な国土の大半は農村であること、多くの農民たちが識字率が低かったこともあり、映画という視覚的イメージを中心に構成された一度に多くの大衆に訴えかけることのできる形式は、ひとつの理念のもとに束ね教化するうえで可能性に満ちたものであった。後の商業的なハリウッド映画にも影響を及ぼすモンタージュの技法などは、このロシア独自の社会的問題から映像編集の理論が生み出されたのである。

 軍事技術と映像の複雑な相互関係についての鋭い考察で知られる、フランスのポール・ヴィリリオ(1932~)は著書『戦争と映画』(1984年)のなかで、二十世紀の二つの世界戦争が単に機械化された兵器や軍事技術を駆使した戦争のみならず、いかに映画技術および映画産業と複雑密接に結びついた光学・情報戦争であったかを、精密に描き出している。

 特に第二次世界大戦を大掛かりな演出による超大作としての戦争と呼んでいる。ナチスのプロパガンダ映画の『意志の勝利』(1935年)ナチ党による全国党大会を中心に構成された記録映画は、すべて演出による映画であり巨額の予算と百人を超える技術スタッフ、90人ものカメラマンを駆使して作られたとされる。この大作の目的はナチ神話を世界に広めようとすることにあった。意識的に作り出された映像の政治、戦争そのものが映像と化することを、ひとつの目的であり本質とし、悪魔的俳優であるアドルフ・ヒトラー(1889~1945)は超大作としての戦争を演出し自らその主演を務めた。ドイツはやがて敗戦するが、映像による演出と操作においてアメリカはその最大の後継者になり映像と戦争の相互浸透作用はアメリカが自国のプロパガンダ映像を用いて自国を正当化し続けているのだ。

 20世紀前半頃、欧州で大戦が始まりアメリカが参戦することが決まると、アメリカは自国の正義と参戦の意義を植え付けるための効果的な手段の一つとして映画が用いられた、その後、第一次世界大戦後の社会主義国家ロシアの成立、それに続く時期のナチス統治時代のドイツで映画がプロパガンダの最高に有用な道具のひとつとして意識され、高度に組織され用いられた。現在においても映像と戦争の相互浸透作用は、アメリカが自国のプロパガンダ映像を用いて自国を正当化し続けているのである。マスメディアやインターネットによって情報が氾濫している現代の社会では、それを読解するためのメディアリテラシーが求められているのである。 

参考文献、 日高優編『映像と文化 知覚の問いに向かって』(京都造形芸術大学・東北芸術工科大学 出版局 藝術学舎、2016年)