形式の流れの中で論述に必要なものは論理であり、論述における構造として「序論・本論・結論」となる。
論理的に書かなくてはならないため、論述の設計図が必要になるのだ。
論述の議論は、入り口が大きく開いていて出口が小さくなる、漏斗のような形に納まる、論理的な文章の繋がりをみせることが最も望ましいことである。
論述の構造と必要な形式(論述基礎)
形式の流れの中で、論述に必要なものは論理である。
三段論法「ソクラテスは人間であり、すべての人間はいずれ死ぬのだから、ソクラテスもまた死を逃れられない」このようなことを基本に置いた文章を作成する。
文末は論述形式の場合「だ・である」調が好ましく「です・ます」調は敬語を使った文末「だ・である」調は敬語を使っていない文末である、文章の文末はどちらかに揃えるべきである。
主語と述語については、「私」は論述において本当に必要な時をのぞいては、不用意に表れるべきではなく「~と私は考える」は隠しておく。
自分自身の論理に欺かれないようにすること「である」ことと「べきである」ことは区別するべきであり、言葉の背後に「~と私は思います」が隠れているかを判断できるかが重要である。
論述における構造、それは「序論・本論・結論」である。
このような議論をおこなう意義を説くものとして序論を置き、すぐに結論を述べても誰も納得しないため、序論の後に本論を置く必要があるのだ、本論の後に結論を置くのである。
客観的な論処をあげることが必要であり、対話を自分自身に施すことで議論を高みに導き、新しい知見や何かを証明する為に「例証」「反証」というレトリックなどの、哲学的な思考具体例を使うのである。
このような基本的な形式の流れを、論理が通るように述べるために、論述の設計図が必要になるのだ「序論・本論・結論」構造として入口が大きく開いていて出口が小さくなっている、漏斗のようなかたちをした論述における議論をしていることが、最も望ましい論述の形式なのである。
参考文献:篠原学(著)、大辻都(編)『アートとしての論述入門』京都造形大学、東北芸術工科大学、出版局、芸術学舎、2018年