ドイツ人の血統主義とムスリム(宗教学)

ドイツ社会の民族意識は、血統主義を強く持ち民族の違う人間を同じドイツ人と認めることが難しい。この疎外や差別から移民労働者たちはムスリムとして覚醒した。東西統一を果たしたドイツでは、経済的不安と血統主義から移民であるムスリムの存在に対する排斥感情の力へと転化しているのである。

 西ドイツは第二次世界大戦の復興の際、地中海沿岸諸国の出稼ぎ労働者で労働者不足を補った。1961年にトルコとの双務協定を締結、トルコから大規模な移民が向かった。1973年の第一次石油危機には外国人労働者の募集は停止され1990年の東西統一を果たしたドイツでは経済的混乱と外国人流入が重なり、外国人憎悪が加速される。

 ドイツ人の民族意識と血統主義を強く打ち出すドイツ社会では、トルコ移民は疎外や差別をうけていた。母国との関係が薄れていく第二世代以降は、イスラームの教えに従いムスリムとして覚醒することでトルコ民族意識とアイデンティティの喪失の危機から逃れる人々が増えていったのである。

ドイツは国家と教会は分離しているが、

基本法でキリスト教は特別な地位を保証され、ムスリムに対する処遇の格差は当然だという認識が存在している。連邦制を採る地方分権型の国家ドイツが無理に統一性を強めたことが、排他的な民族主義を生み出す下地となった。西ドイツでは戦後ナチズムの徹底的な払拭を図ったが民族の定義は血統主義にもとづく人種的なドイツ人概念を変更しなかったのだ。

 もう一つの東ドイツでは社会主義体制のなか異質な宗教との問題に何の経験も蓄積しなかった。東西統一を果たしたドイツでは経済的混乱と不安がムスリム移民への排除する力へと転化したのである。

ドイツ社会の民族意識は、血統主義を強く持ちドイツ国籍を持っていても民族の違う人間を同じドイツ人と認めることが難しい。この疎外や差別から移民労働者たちは、ムスリムとしての覚醒という新しい生き方の選択をした。東西統一を果たしたドイツでは、経済的不安と血統主義から、他の宗教と文化を受容できないムスリム移民に対する排斥感情の意識が存在するのだ。

参考文献、 内藤正典『ヨーロッパとイスラーム-共生は可能か-』岩波書店、2004年