社会や政治、民衆の心情を表現する詩歌(アジア芸術史)

 文学の一形式としての詩は、中国古典文学において限定された意味をもつ、中国最古の詩集である『詩経』『楚辞』は異なる地域にうまれ、漢代には五言詩、後漢の歌謡に起源を求める説が有力な七言詩が成立され。唐代に韻律が原則な規則として確立された、それに従った近体詩、韻律の点が比較的自由な形式のものが古体詩とよばれる、また旋律に合わせて歌曲として詞がうまれ、元代には曲が流行する。明代に擬古主義の風潮に反発する童心説が唱えられ、清代では詩のあり方について個性的な主張が繰り広げられたとともに、より精緻な作品を生み出したのである。

 古来、儒教の始祖孔子(前551~前479)が編纂されたとされる『詩経』は黄河流域一帯の民謡を集めたもので、押韻技法により音楽と密接な関係をもち生まれたとされる、これに対し『楚辞』は長江流域で興った中心作者として屈原(前340頃~前277頃)が擬せられた詩集で有名な「離騒」は憤りの感情を詠んだ詩である。

 前漢末から後漢の頃民情を知る目的で集められた民謡に起源をもつ「楽譜」として伝わる作品は五言詩の成立に寄与したと考えられている。さらに事物を細やかに描写しつつゆったりと朗唱される賦はこの時代を代表する。

 魏晋南北朝時代には儒、仏、道の三教が社会に影響を与えることとなり華やかな暗黒時代と称される。四六駢儷文とよばれる修辞的技巧の散文が流行した他、自然美を描く山水詩や何気ない日常の景色を詠んだ作品などが生み出された。また散文の名作を集めた『文選』が編まれ日本文化に影響を与えた。

 初唐期に新たな息吹の詩風、初唐四傑や形式面では絶句、律詩などの「近体詩」というスタイルが確立された。盛唐の時代には最もエネルギーに満ちた詩人王維(701頃~761)たちが活躍、中唐の詩人たちは独自の境地を開き晩唐では頽廃の影を宿した詩を残した、また後漢の歌謡を起源とする七言詩が成立した。他方、旋律に合わせた歌曲の詞が生まれた。

 宋代には唐代に対し理性的であり日常の物事なども詩の題材となり、黄庭堅(1045~1105)を祖師とする江西詩派が詩壇の中心を占め、南宋に入ると厖大な作品の愛国詩人や「誠斎体」という独自の形式などや北中国の金の詩人などが活躍する。

 元代には奔放で幻想的な詩風の詩、契丹や色目人の出身である詩人などが独自の作品を残す。明代初期の詩人、高啓(1336~74)の五言絶句「尋胡隠君」は名作である、また擬古主義に反発し作者自身の童心の表現を説く「童心説」や真情の表現を説いた「精霊説」などが生み出される。

 清代には明の滅亡を詩に読み込んだ作品や「一代の正宗」といわれた清朝第一の詩人王士禎(1634~1711)などが活躍「神韻説」「格調説」「精霊説」と名づけられた、詩のあり方についての個性的な主張を繰り広げ、より精緻な作品を生み出す。

 文学の一形式としての詩は、中国古典文学において限定された意味をもち、多くの様式の変化さらに詩に対する考察を行い、その時代の社会や政治との相互関係のなか民衆の心情などを表現された言語芸術なのである。

参考文献 編者 赤松紀彦、アジア芸術史 文学上演篇Ⅰ『中国の伝統文芸・演劇・音楽』京都造形芸術大学 東北芸術工科大学 出版局 芸術学舎 2014年