シュムメトリアと舞踏にみる芸術と身体(芸術理論)


 マルクス・ウィトルウィウス・ポッリオ(生没年不明 前1世紀頃)は、著書『建築十書』(白幡俊輔『建築十書』ウィトルウィウス、第4章、35p)のなかで、あらゆる作品や構造物の各部分がバランスよく調和していることである「シュムメトリア」の概念を述べている。さらに調和のとれた構造物の典型を、人間の体に求めたのである。

 ルキアノス(120年頃~180年以降)は、著書『舞踏について』(佐藤真理恵『舞踏について』ルキアノス、第6章、49p)のなかで、鍛え抜かれた肉体と研ぎ澄まされた魂の結晶を見ることが、舞踏を称揚する理由とし舞踏の観者は踊り手に自己を鏡のように投影することで多くのことを学びとると提示する。

 この二つの論考は、芸術と身体との関りを、一方で調和のとれた構造物のバランスを人体にみいだし、他方で舞踏の鍛え抜かれた肉体と魂を目にすることに導き出しているのである。


シュムメトリアと舞踏にみる芸術と身体


 ギリシア建築のオーダー(形式)を紹介したウィトルウィウスは、古代ギリシアと古代ローマの建築理論や建築技術について書き残した。

建築とは、適切な場所・配置・比例・材料などに基づいて作業を行うことでもあり、その「適切さ」を決めるきわめて重要な概念がシュムメトリアである。

この概念は建物に限らず、あらゆる作品や構造物の各部分がバランスよく調和していること、さらに部分から全体に至るまでひとつの調和に基づいていること。

また、そうした調和のとれた構造物の典型を、人間の体に求め美しい人体の調和が保たれている場合、肘・足・掌・指その他細かい部分まで調和がとれているように、あらゆる構造物にかかわると考察している。

この考え方はルネサンスの時代にレオナルド・ダ・ヴィンチ(1452~1519)の人体図が示すように、人間の体から導き出される数学的比率より美しさや有用性が創り出せるという発想につながる。

 二世紀頃の弁論家、諷刺作家のルキアノスは、多くの古典文学作品を引きつつ、体育教育が重視されていた古代では、肉体を律することは同時に精神を研ぎ澄ます手段でもあり、舞踏という手段を介して肉体と魂が融合し成熟した肉体をとおしてはじめて精神が発露する。

こうなると、すぐれた踊り手には、鍛え上げられた肉体と技に加え、精神を伝達する術も要求され、戦闘での技や男女の美徳を培う事に有効な教育と記され、舞踏が英雄の勳にも関与していたことが語られる。

舞踏は音楽と相俟って目や耳に心地よく、観者に愉悦をもたらす。さらに踊る者と観者の双方にとって、鍛え抜かれた肉体と研ぎ澄まされた魂の結晶を目にすることで、それを観者は踊り手という鏡に自己を投影し、多くのことを学びとるのである。


 この二つの論考は、芸術と身体との関りを、一方で調和のとれた構造物のバランスを人体にみいだした考えを提示し後のルネサンスの時代において人間の体から導き出される数学的比率より美しさや有用性が創り出せるという発想に紡がれるのである。

他方で舞踏の鍛え抜かれた肉体と魂を目にすることを舞踏が社会における芸術の意義と役割に、通底している考え方であることを導き出しているのである。


参考文献:編者、加藤哲弘『芸術理論古典文献アンソロジー 西洋篇』京都造形芸術大学、東北芸術工科大学、出版局、芸術学舎、2014年、

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