需家思想の祖である孔子は「孔子の言行録」である『論語』で、思想の核に人間が本来持つ人間への愛情「仁」を出発点として理想の社会を目指し「詩」を学ぶことをすすめた。
詩は個人、社会、政治など幅広く効用が及ぶことを伝えている。
朝鮮前期の文臣、成俔(1439~1504)は、『楽学規範 序』辛邦炅『楽学規範 序』成俔、のなかで「礼楽」による秩序観を、政治が安定し社会が平和であれば音楽も正常に演奏されることを示唆している。
江戸時代中期の儒学者である萩生徂徠(1666~1728)の『礼楽論』陳貞竹『礼楽論』萩生徂徠、において礼楽、芸術は社会や社会状況などを反映し、芸術と政治、社会道徳の関連性を伝えている。
この三つの論考は、芸術とその時代の社会や政治と道徳の結びつきを示すことを示唆しているのである。
孔子・成俔・萩生徂徠・芸術と社会の結びつき
前漢時代に孔子の説教を中心とする儒教が、国家統治の原理とされ『論語』は「五経」に準ずる経典として、中国、日本を含む多くの地域に及ぶ幅広い読者層を獲得する。
『論語』の中には「詩」「楽」などの芸術への自己修養や社会的道徳、政治との関りについて社会風俗を映す鏡であり。社会状況を風刺することができるなどの、芸術の社会的意義への言及がある。
需家の重要な文献である『礼記』のなかの楽記編で、人の心に正しい気が働きかけると、調和のある音楽が生み出され。姦悪なる気が働きかけると、淫靡な音楽が生み出されると説かれる。
さらに政治と音楽とを結びつけ良い政治が行われていれば、良い音楽が生み出され、悪い政治には悪い音楽が生み出されると説かれ。古来中国では音楽は士の必修科目「六芸」のひとつであり、さらに人間が人格を確立するために施されるもの「礼」と合わせて「礼楽」として尊重された。
芸術性よりはむしろ芸術家の精神性「徳」が重視される傾向を強く有した。音楽は為政者の「徳」の象徴として認識され、社会を教化するうえで重要視される。
また朝鮮前期の文臣である成俔は、『楽学規範 序』において「礼楽」による秩序観を述べ。彼自身、琴を演奏することによって直ちに中和の徳をなすところがあると説く。音楽は人間と人間、人間と事物の和合に大きく作用し社会を平和にする政治的調和機能があり、音楽の重要な機能であると考えた。
さらに江戸時代中期の儒学者である、萩生徂徠も詩書礼楽を学ぶことで自己中心的な視点から脱し、他者との関係性への配慮を欠かさない者になると説いている。音楽と政治、音楽と道徳の連続性を示唆しているのである。
孔子が礼と並んで音楽を大切にした「礼楽」という考察は、朝鮮前期の文臣の成俔に、さらに江戸時代中期の萩生徂徠にも受容される。
音楽の機能は政治的調和と秩序をつくりあげ、社会を平和にする重要な芸術として、古来東洋では芸術の持つ精神性を「徳」としてとらえ、為政者や知識人にとっては重要な学問と考えられていた。
ここに芸術と道徳、社会や政治との結びつきを読み取ることができるのである。
参考文献、編者、宇佐美文理、青木孝夫『芸術理論古典文献アンソロジー 東洋篇』京都造形芸術大学、東北芸術工科大学、出版局、芸術学舎、2014年、